2018年7月19日木曜日

番外編・50記事目記念( ゚Д゚) なぜ海外に出たのか。

さて、この飽き性の私がついに50記事目に到達いたしました。
あまり人様にお礼を言うタイプではないのですが、
これもなんだかんだ記事を読んでくれる人がいたからここまで続きました。
ありがとうございます、皆さんのおかげですm(__)m

もうちょい、皆さん広告クリックしてくれてもいいのよ(笑)

さて、本ブログは基本的にはネタを仕入れて、
それをご紹介というスタイルをとっているのですが、
たまには趣向を変えて、どうして自分が海外に出るようになったのか?
もうすぐ海外生活も丸5年近くになりますので、
備忘録的に書いていきたいと思います。
※ちょっと長いですよwww

そもそも海外に移住するまで、3つの転機がありました。

過去の記事でも少し表記していますが、
私、日本では新卒から地方公務員をやっていました。
ご立派に地方公務員と書いていますが、単なる地方都市の市役所勤務です(笑)

ちなみに私の経歴を簡単に紹介いたしますと
市役所(新卒~30歳まで)⇒シンガポール(約3年)⇒ホーチミン(まもなく2年)
となっております。

さて、市役所ではお世辞にもお行儀の良い職員ではありませんでしたが、
新人の初期配属部署で実績だけはそれなりに残していたつもりで、
上司や一部のお偉いさんには気に入られており、
当時は若いこともあり、出世コースに乗れるかな?とか淡い期待をしていたわけですw

そんな中で第一の転機は、最初の上司の病休でした。
とんがってた新人ながら、この上司はそれを温かく見守ってくれるタイプで、
自由にのびのびとやらせてもらっていたこともあり、かなりショックがありました。
ただ、この一件はこの後さらに悲劇的な結末を迎えるのですが、
それはまた追々。。。。

この件を境に、会社というか組織というものは頼れない、
いや、むしろ敵!というような考えになっていったような気がします。
今でも会社の人間とは仕事以外では接点をなるべく持たないようにしているのは、
間違いなくこの件が原因でしょうね(笑)


そんなこんなで月日が経ち、初めての異動を迎えるわけですが、
これが第二の転機となります。
20代半ばの小僧で無駄に実績は積んでいたつもりであったため、
当然良い部署に異動出来るもんだと思っていましたが、異動先は全く望んでいない部署。

この段階で市役所を辞めることだけは決意したのですが、、、、
就活経験もなく、転職するにしても『元公務員』の肩書は役に立たない、
と考えており次の手が見いだせない状態でした。

その後、決め手を探すためにもがきながら色々していた時に、
知合いに呼ばれて短期留学(笑)でシンガポールへ行ったことが、
最後にして第三の転機になります。(・ω・)

シンガポールで様々な人から話を聞くことができ、
海外での現地採用、その給与水準、生活コストなど、
漠然としか分かっていなかった海外転職について、
一つ一つ道筋が見えていきました。

すでに会社への未練も何もなかったので、
シンガポールから帰国後、海外転職に向けたTOEIC対策、
身辺整理、転職活動の準備をスタートし、
半年後にはシンガポールでの内定を頂いていました(笑)

私の場合、海外移住・転職に至る転機の数は3つでしたが、
1つの人もいれば、5,6つになる人もいると思います。

海外移住に限らず、何かを劇的に変えるには実際に行動するしかないわけですが、
その行動のトリガーがその人にとっての何個目かの転機になるんだと思います。
つまるところ、やる気スイッチですwww

さて、今月はようやくワールドカップも終わり、寝不足からも解放されたため、
ネタ拾いにいそしんでいきたいと思います(/・ω・)/

【次の記事】
番外編・100記事目記念( ゚Д゚)・バッサリいきました!

♯海外現地採用 ♯ホーチミン転職 ♯海外転職 ♯ホーチミン生活 ♯やる気スイッチ

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